INICIAR SESIÓN「ひ、ひゃく……ひゃくにじゅうおくえん、だとおおおおおッ!?」 刑務所の面会室。アクリル板の向こうに座る熊田の顧問弁護士が差し出した最新の資産残高報告書を見て、俺は文字通り椅子から転げ落ちそうになった。 大和ナノマテリアル株―― 俺の神託通り、政府の「次世代国家戦略半導体プロジェクト」に指定されたというニュースが号外で流れた瞬間、株価はたった400円から連日ストップ高の狂乱乱舞。 信用取引の3倍フルレバレッジをかけていた5億4千万円の元手は、わずか1ヶ月足らずで【120億円】という天文学的な数字にまで膨れ上がっていたのだ! 「一条先生! 外の若い衆も組の幹部連中も、みんな先生を『生き神様』と呼んでますぜ!」 面会室の隅で立会人を務める買収済みの刑務官までもが、揉み手をしながら俺に最敬礼してくる。 「が……がははっ! がははははははッ!! 見たか! これが俺の実力よ!!」 雑居房に戻れば、もはやそこは刑務所ではなかった。 『一条教』の神殿だった。 「一条大先生! 本日の夕食の特注うな重(※裏ルート差し入れ)でございます!」 「先生の肩の凝りは、我が組の総力を挙げてほぐさせていただきますッ!」 熊田をはじめとする凶悪犯たちが、俺の前にひれ伏して畳に頭を
「一条先生、今日の晩飯のサバの味噌煮、俺の分の皮の美味いとこもどうぞ!」 「先生、肩凝ってやしませんか? 極上の指圧いきますぜ!」 雑居房の畳の上で、俺は腕組みをしてふんぞり返っていた。 右からは元地面師がうちわで風を送り、左からは元闇金の男がアルミ皿に自分のおかずをせっせと献上してくる。 「うむ。苦しゅうない。……おい熊田、お茶がぬるいぞ」 「へッ、ただいまアツアツの淹れ直してまいりますッ!」 あの百キロ超えの元広域指定暴力団幹部・熊田が、両手でやかんを持ってペコペコと頭を下げている。 この世の春。いや、この『塀の中の春』だ。 東洋石油のストップ高で、熊田の若い衆は二千万をあっという間に一億二千万円に化けさせた。 その噂はあっという間に刑務所内の裏ネットワークを駆け巡り、今や第四雑居房の連中だけでなく、隣の房の重鎮や、果ては買収された一部の刑務官までもが、俺にコッソリと甘い汁を吸わせてもらおうとすり寄ってきていた。 「先生、これが差し入
刑務所の夜は早い。午後九時の消灯ラッパが鳴り響くと、六畳ほどの雑居房は重苦しい静寂に包まれる。 俺が収容されたのは、一癖も二癖もある凶悪犯や経済ヤクザが集まる第四雑居房。 その中で絶対的な権力を握っていたのが、詐欺と横領で懲役七年を食らっている通称『熊さん』こと熊田だった。 元広域指定暴力団の幹部で、体重は優に百キロを超える巨漢。鋭い眼光と顔中に入った傷跡は、見るだけでションベンをちびりそうになる威圧感を放っている。 「おい、一条」 布団に入った直後、暗闇の中から熊田の野太い地声が響いた。 「ヒッ……! は、はいッ! 熊田さん、何でございましょうか!」 俺は布団から飛び起き、正座して両手を膝に置いた。雑居房の最下層である俺は、熊田の肩もみから便所掃除まで、あらゆる雑用を押し付けられているのだ。 「お前、昼間の作業中、ブツブツと『株がどうの』『前世の記憶がどうの』と呟いてたな? あれは一体どういう意味だ?」 暗闇の中で、熊田のぎらついた目が俺を値踏みするように光る。他の同房者たち――元裏カジノの胴元や地面師たちも、息を潜めて聞き耳を立てていた。 普通なら「何でもありません」とビビって縮こまるところだろう。 だが、この時俺の頭の中で、悪魔の閃きがピピピッと走ったのだ。 (待てよ……こいつら、塀の中にいるとはいえ、シャバにはまだ
※82話以降からは、一条陽太の番外編になります。引き続きお楽しみください※ 「おい、新入り! 手の動きが止まってんぞ! さっさと紙箱折らねえか!」 刑務官の怒声が、静まり返った刑務所の作業場に響き渡る。「ヒッ……す、すみませんッ!」 番外編にまで搭乗できるくらい人気者の俺、一条陽太は、ビクッと肩を跳ね上げ、目の前にあるボール紙を慌てて折り曲げた。 指先は糊(のり)と紙の摩擦でカサカサになり、爪の間にゴミが挟まって薄汚れている。 全身を包むのは、無機質でダサい灰色の囚人服。 かつて銀座のクラブで数千万円のシャンパンタワーをぶっ放し、モデル崩れの女たちを侍らせていた一条グループの御曹司の姿は、ここには微塵もなかった。(くそっ……! なんで俺がこんなところで内職みてえな作業をしなきゃならねえんだ……ッ!) 心の中で悪態をつきながら、俺は必死に紙箱を組み立てる。 保釈中の凶器所持による強盗未遂、建造物侵入、詐欺未遂。数々の罪状が上乗せされ、言い渡された判決は懲役5年の実刑。 親父には完全に縁を切られ、実家の一条グループは75億円の負債で倒産。俺を騙して利用しようとした鷹司華音も別の刑務所で服役中だ。 世間から見れば、俺はすべてを失った正真正銘の敗北者だろう。 だが――俺の目は、まだ死んでいなかった。 (笑わせるなよ。俺にはまだ、最強の切り札が残っているんだ……) 作業台の隅を見つめながら、俺はニヤリと口角を歪めた。 そう! よくぞ聞いてくれた!! 俺には【前世の記憶】がある。 前世で俺は、あの大人しくて地味だった白峰結月を嫁にもらい、あいつの実家の資産を好き放題に使って贅沢三昧の生活を送っていた。 今世では諸星帝とかいうポッと出のクソ野郎に横取りされ、結月も調子に乗って俺を裏切ったが……あいつらの天下なんて長続きするはずがない。 (思い出せ……前世の記憶を。あと2年もすりゃ、世界的な大暴落が起きて、その後に爆発的に伸びた産業があったはずだ……!) 刑務所の中で5年なんて、俺にとっては単なる「充電期間」に過ぎない。 ここで前世の記憶を徹底的に整理し、出所した瞬間に残された全財産――いや、誰かを騙して引っ張ってきた軍資金を元手に、大化けする銘柄にフルレバレッジをかけてやる。 1億が10億になり、10億
あれから、数年の月日が流れた。 都心の一等地に佇む諸星家の本邸。 かつては冷徹な政略結婚の舞台と囁かれていたこの屋敷の広大なプライベートガーデンには、今、あたたかな春の木漏れ日と柔らかな花の香りが満ち溢れている。 「キャハハッ! パパ、はやい! もっと、もっとぉ!」 手入れの行き届いた芝生の上で、愛らしい鈴のような笑い声を響かせているのは、今年で三歳になる私たちの愛娘――結愛(ゆあ)だ。 私譲りの艶やかな黒髪と、父親である帝と瓜二つの意志の強い漆黒の瞳を持つ我が家の小さな天使。 その結愛を高い高いと軽々と抱き上げ、端正な顔をこれ以上ないほど甘く蕩けさせているのは――。 かつて社交界や経済界から『冷酷無比なる絶対覇王』と恐れられていた男、諸星帝その人だった。いや、正確に言うと今も言われているが、とても信じられないほど、家庭で見せる顔は違う。 「どうだ結愛、楽しいか? だが、あまり激しく動くと疲れてしまうぞ。……結月、冷たいハーブティーを頼めるか?」「ええ、すぐに。ふふ、帝ったら、すっかり親バカが板についてしまわれましたわね」 ガーデンテーブルに座っていた私がクスクスと笑いながら冷たいグラスを差し出すと、帝は結愛をそっと膝の上に乗せ、少しだけ気まずそうに、けれど誇らしげに口角を上げた。「親バカで結構だ。俺と君の血を分けた、世界で一番愛らしい娘だからな。……将来、結愛に近づくくだらない虫どもは、俺が幼稚園の段階からすべて徹底的に排除してやる」「まあまあ。まだ三歳ですのに、気が早すぎますわ」「男という生き物は油断がならん。特に、口先だけで甘い言葉を吐くような無能な害虫はな。結愛には、帝王学と共に本物の男を見極める審美眼を叩き込む」 相変わらずの過保護っぷりに、私は思わず噴き出してしまう。 かつて私を陥れようとした一条陽太や鷹司華音といった害虫たちの影は、今の私たちの生活には一微塵も残っていない。 一条陽太は保釈取り消しと実刑判決を受け、今も冷たい刑務所の塀の中で服役中だ。出所したところで実家の一条グループは破産して跡形もなく、前世の記憶を喚き散らす男に手を差し伸べる者など世界中どこにもいない。 鷹司華音もまた、実家から完全に勘当されて社交界から永久追放され、地方の片隅で名前を変えてひっそりと暮らしていると聞く。 悪意も、裏切りも、かつて私を縛
「帝……」 胸の奥がじんわりと熱く満たされていく。 すべてを察した上で、あえて踏み込まず、ただ現在の私を丸ごと包み込んでくれる深い器量と愛。 前世で私が渇望し、決して手に入らなかった本物の温もりが、今こうして私を抱きしめている。「ありがとう、帝」 私は彼の首元に顔を埋め、柔らかな髪に指を滑らせた。「私を選んでくださって、本当に嬉しいですわ。……あなたに出逢えて、あなたに愛されて、私は世界で一番幸せです」「……ずるいな」 帝は低く掠れた声で呟くと、私の顎をすくい上げ、待ちきれないとばかりに唇を塞いできた。 先ほどまでの慈しむような優しさは影を潜め、私を骨の髄まで貪り尽くすような、激しく濃密な熱情。 唇を割って滑り込んでくる熱い舌先に、思考が心地よく蕩けていく。「ん……ぁ……帝……っ」「世界一幸せだと? そんな生ぬるいもので終わらせる気はない。君が俺以外の男や過去の記憶など思い出す暇もないほど……一生、俺の愛で狂わせてやる」 独善的で、傲慢で、けれどたまらなく甘い愛の告白。 帝は私を軽々と抱き上げると、リビングの奥、夜景が一望できる広大なキングサイズベッドへとゆっくりと私を沈めた。 シーツに散らばる私の黒髪を愛おしそう
志田成美、彼女は陽太がまだ何者でもなかった学生時代に、ただ一人本気で恋をした女。 そして、彼の前から黙って姿を消した女だった。 彼女は、儚げな人だった。私とは何もかもが正反対の。守ってあげなければ今にも壊れてしまいそうな、潤んだ瞳。風が吹けば飛んでいきそうな、頼りない肩。陽太は成美を前にすると、人が変わったように優しくなった。まるで、置き去りにしてきた青春を、もう一度やり直そうとするみたいに。 成美が「経営のことは、私、何も分からなくて」と困ったように睫毛を伏せれば、陽太は嬉々として手を差し伸べた。私が十年かけて整えてきた会議の段取りを後回しにしてまで、彼女のために時間を割いた。
「はぁ……」 私はため息をついた。 天井のしみを、もう何百回数えただろう。 白い天井に走る、雨漏りのあとのような薄茶色のしみ。三つ、いや四つ。数えるたびに増えていくような気さえする。かつての私なら、こんな安アパートの天井を見上げて死ぬ日が来るなんて、想像すらしなかった。 白峰結月(しらみねゆずき)。白峰ホールディングスの一人娘として生まれ、何不自由なく育った。海外の大学で経営学を修め、二十代の半ばで財閥の中核事業を任され——そして三十を過ぎた今、私は、すべてを失った。 医者は、過労と慢性的な栄養失調が重なったのだと、淡々と告げた。笑ってしまう。財閥令嬢として生まれた女が、その日の食
それどころか、前世の一条グループじゃ逆立ちしても手が届かなかった財界のドン・武藤会長に自分からすり寄って、なんかクソ難しそうな半導体の話をして、あっという間に気に入られてやがる。 俺にわからねえ話で盛り上がるなんて……生意気だ!「おい、ふざけんなよ……! なんであいつ、俺をあんなゴミを見るような目で見たんだよ……っ!?」
「な、んでだよ……っ!!」 俺は、武藤会長を連れて女王様みたいに華やかに去っていく白峰結月の後ろ姿を、ただ口を開けて見つめることしかできなかった。 驚きとパニックに、名刺入れを握る指先がみっともなくガタガタと震える。 周囲の連中が「何だあいつ?」と俺をクスクス笑っている気配がして、顔がカッと熱くなった。 おかしい。こんなの絶対におかしい!







